台湾歌壇について

和歌を純粋に楽しむことを目的として設立された台湾歌壇は、40年以上の歴史を持つ。会員は若き日に日本語教育を受け、日本の文化に親しみを覚える台湾人を中心にして構成され、平均年齢は80歳を超える。

日清戦争後台湾は日本に割譲され日本統治時代の中で生まれ育ち、開戦から終戦、台湾語から日本語、そして中国語へ、激動の時代を生き抜いて来た日本語世代の同人は、国境と言語の壁を乗り越えて、心から歌を愛し、歌を読み続ける心を持ち続けてきた。台湾歌壇の創始者である呉建堂博士(菊池寛賞を受賞、ペンネーム、孤蓬万里)の歌からもその精神を垣間見ることができる。

日本語の すでに滅びし 国に住み 
  短歌(うた)詠み継げる 人や幾人(いくたり)

万葉の 流れこの地に 留めむと
  命の限り 短歌詠み行かむ

呉建堂博士は日本統治時代の旧制台北高等学校の学生の頃、万葉集研究の第一人者である犬養孝先生に師事して『万葉集』を学び、和歌に興味をもつ。

その後剣道で活躍していた呉建堂氏は、1967年10月に日本で行われた「国際親善剣道大会」に於いて、当時皇太子、皇太子妃両殿下ご臨席で美智子妃殿下からお言葉を賜ったときに「台湾の短歌の纏まったものが出来ましたらご覧いただきたいと思います」と申し上げ、「期待しています」というお言葉を賜った。

それに先立つ昭和四十年の宮中新年歌会始めでの詠進歌として入選した呉振蘭さんを顧問として、台湾の日本語教育を受けた方々の日本短詩形文学愛好に拍車がかかっていた。1967年には11月には「台北短歌研究会」が発足した。1968年1月には「台北歌壇」第1輯を発行。

短歌に興味のあるメンバーが次々集まり、本来なら台湾歌壇であるところを、「台湾」という言葉を避けて「台北歌壇」とするなど、戒厳令下の台湾の厳しい情況の下で、日本語による日本の伝統的な詩歌の会が続き、参加者たちは古語調の和歌を創作、それぞれの思いを歌に託し、今日まで詠み続けてきた。

今から6年前に、絶対多数の会員の要望により、当初呉建堂氏が命名したかった「台湾歌壇」に正名されて今日に至っている。

現在「台湾人と日本精神」の著者である老台北(司馬遼太郎の「台湾紀行」に出てくる)蔡焜燦氏が代表として運営委員会により運営されており、会員は台湾、日本を含んで約100人。会員は文芸界で活躍しているわけではなく、一般の社会人であるが、創作された歌には凝縮された波乱万丈の生き方が、詠み込まれている。目の前のものを自分の心に投影して詠むという「万葉の心」、それは変容しつつも、台湾人によってここ台湾の地にも深く根を下ろしている。

国籍とは関係なく和歌をこよなく愛し続ける人々の純粋な思いを、国境のないインターネットを通して世界へ発信することが当サイトの目的である。
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