一輪の朝顔 佐藤厚子
朝顔の咲き居る庭に佇みて利休の選びし一輪を思ふ
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美しく死ぬるは難しと人云へるリハーサル出来ぬ今はの際を
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お年には見えませんねの一言は少しうれしくやたらに淋し
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異常なし眼科医笑みて告げし後「九十だね」と一言継ぎ足す
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数多なる薬貰ひし前の女順番待ちの我に会釈す
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若き日の夢それさへも忘れたり生きてる証曾孫に笑みかく
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手さぐりにて倖せ探し九十年曾孫抱く腕ほのぼの温し
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向ひ家の五人家族のさんざめき昨日羨しみ今日は疎めり
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コーヒーもビールもきちんと飲んでます水分摂れとふ医師に嘯く
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夜に入りて殊更静かなマンションは老いの咳さへ谺するごと
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労働に慣れざる若きボランティアを労り居るは被災地の人
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胃袋に関係のなく口淋しゆつくり開けるキャラメルの箱
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感謝 白崎一衛
常々の思ひ留むる懐紙にはあれも詠みたしこれも詠みたし
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黙想の声一言に静まりつ今日の稽古はいかになるかも
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先々(せんせん)の一つその先(さき)先(せん)を予(よ)む剣の修得いまだ能はず
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初めての空から眺むる台湾は高嶺に積もる南国の雪
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雪国の生まれ育ちの我が身ゆゑ温和の台湾いと心地よし
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お国はと吾に尋ぬる老台北故郷訛りなつかしみ聞かる
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一大事我先に行くと馳せ参じ日の本助くる若き武士(もののふ)
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国難にいざ立ち向かふ同胞を愛でつつ励ますフォルモサの友
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建国の思ひ一途に咲く花は見目麗しき新高の百合
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蓬莱と大和の国は幾久し絆結ばん千代に八千代に
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この世にて李登輝在るは有り難き民に語るは人の往く道
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幼き日に「おいたはあかん」と千度聞く京の言葉の母の説教
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ゆるり歩まむ 周福南
急速に豚の流感飛び火するはやの収束ひたに祈りぬ
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村里の甍の上の鯉のぼり風薫る中しなやかに舞ふ
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桐の花散り敷く白き山道に甘き香りの漂ひてあり
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二人つれ揺れてロマンス語れるや山は木深き恋の吊り橋
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銀幕に映し出されて人さはに慕ひ来にける海角七号
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シロガシラ花の枝つたひ朗らかにひねもす歌ふ卯月さはやか
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朝日浴び川辺の花の親しげに我に笑まふやゆるり歩まむ
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花橋を渡せる谷か彼方より紫斑蝶の群れ飛び渡る
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台湾の主権守れとデモ行進未来憂ふる思ひ全土に
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空梅雨の空見つめゐて祈りをり田にもダムにも水降らせよと
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盧武鉉の哀れ末路に全韓の弔ひの列冥福祈り
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早乙女の歌声合はせ早苗植う豊作願ふ民守る中を
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櫛使ふ朝 徐奇璧
遠き娘の弾くピアノの音聴きたしと叶はぬ希ひ力なく臥し
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馳せて行くオートバイの数算へ無事祈る窓辺に今日も独り佇つ
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娘がテープに残しくれたる歌声に聴きほれつつを櫛使ふ朝
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老人の通常のくせ回顧談痴心を占めて今を忘るる
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子孫等の去りし淋しさかみしめて亡き祖母母の切に偲ばる
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つくづくと母や祖母への思ひやり足らざりしをば悔ゆるこの頃
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終日を身の置き所なき思ひ照りつくる陽の暑さ何時まで
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老体の不調しきりに嘆きつつ愚痴言はざりし亡き母の顕つ
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歌詠めず顔上げて空見渡せばゆるやかに雲流れゆくなり
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盲ひたる青年(ひと)の吹く笛騒音の中より聞こゆ秋の日暮れに
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旅疲れ長びきて身も心まで立ち上がれずに夕暮わびし
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いつしかに杖に頼る身となりたれど心未熟ぞあはれなりけり
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黄昏 徐奇芬
亡き友の傍線引きし書をめくり繙きし日の姿顕しむ
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先生と呼び止められて戸惑ひぬ白髪の媼は教へ子なりき
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雨の後とみに明るき公園に何をしゃべるか群れなす雀
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寒き日の暮るるに早く小走りに道行く人の背なみな丸し
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深ぶかと湯舟に浸りしみじみとフリーとふ幸かみしめてをり
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退勤の我に従き来る小犬ありよちよち歩く孫の如くに
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人恋ふは老いたる故か感傷か雲にかくるる月さへかなし
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本を閉じ灯りを消して床につく一日の無事を反芻しつつ
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かすかなる記憶に残る顔一つその名も知らず消える事もなし
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成し遂げむ願ひいくつかこぼれ消え徒らに齢積みてきにけり
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「雲雀」とふ綽名の友の今老いて輪椅子(くるま)に坐して唯笑みてをり
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一日の仕事成し遂げ外見れば黄昏の山我に微笑む
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映画「嵐が丘」 蘇楠榮
昔読みし「嵐が丘」をディスクに観る増して美し増して哀しも
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万世に朽ちざる画なり若き等の嵐が丘の純(きよ)らの抱き
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「君陛下我は奴隷」と膝を折るキャシーをヒースが「マイ・クイン」と抱く
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石楠花の咲き乱れたる丘の上の高き巌は二人の根城
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キャシー言ふ金なき君と出で行かば藁草に寝ね飢え死にせむと
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氷雨の夜馬飛ばし去るヒース追ひて駈けたるキャシー「城」に気絶す
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思ひきや救はれ癒され愛されて富農に嫁ぐキャシーなりけり
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幾年を過ぎて真前に現れし富紳ヒースにキャシー病み臥す
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かの「城」を見たしと息の絶ゆるキャシーヒースに抱かれ窓の辺に立つ
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寄る勿れキャシーは我がもの斯く言ひてヒース静かに遺体寝かしつ
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吹雪の夜声に飛び出でヒースクリッフ愛霊と帰る盟りの巌
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泣かざるや嵐が丘の岩城に魂と生き身の番ひ相抱く
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