バックナンバー‎ > ‎16集1‎ > ‎

16集5

一輪の朝顔                    佐藤厚子

朝顔の咲き居る庭に佇みて利休の選びし一輪を思ふ

美しく死ぬるは難しと人云へるリハーサル出来ぬ今はの際を

お年には見えませんねの一言は少しうれしくやたらに淋し

異常なし眼科医笑みて告げし後「九十だね」と一言継ぎ足す

数多なる薬貰ひし前の女順番待ちの我に会釈す

若き日の夢それさへも忘れたり生きてる証曾孫に笑みかく

手さぐりにて倖せ探し九十年曾孫抱く腕ほのぼの温し

向ひ家の五人家族のさんざめき昨日羨しみ今日は疎めり

コーヒーもビールもきちんと飲んでます水分摂れとふ医師に嘯く

夜に入りて殊更静かなマンションは老いの咳さへ谺するごと

労働に慣れざる若きボランティアを労り居るは被災地の人

胃袋に関係のなく口淋しゆつくり開けるキャラメルの箱

 

 

 

感謝           白崎一衛

常々の思ひ留むる懐紙にはあれも詠みたしこれも詠みたし

黙想の声一言に静まりつ今日の稽古はいかになるかも

先々(せんせん)の一つその(さき)(せん)(よ)む剣の修得いまだ能はず

初めての空から眺むる台湾は高嶺に積もる南国の雪

雪国の生まれ育ちの我が身ゆゑ温和の台湾いと心地よし

お国はと吾に尋ぬる老台北故郷訛りなつかしみ聞かる

一大事我先に行くと馳せ参じ日の本助くる若き武士(もののふ)

国難にいざ立ち向かふ同胞を愛でつつ励ますフォルモサの友

建国の思ひ一途に咲く花は見目麗しき新高の百合

蓬莱と大和の国は幾久し絆結ばん千代に八千代に

この世にて李登輝在るは有り難き民に語るは人の往く道

幼き日に「おいたはあかん」と千度聞く京の言葉の母の説教

 

 

 

ゆるり歩まむ     周福南

急速に豚の流感飛び火するはやの収束ひたに祈りぬ

村里の甍の上の鯉のぼり風薫る中しなやかに舞ふ

桐の花散り敷く白き山道に甘き香りの漂ひてあり

二人つれ揺れてロマンス語れるや山は木深き恋の吊り橋

銀幕に映し出されて人さはに慕ひ来にける海角七号

シロガシラ花の枝つたひ朗らかにひねもす歌ふ卯月さはやか

朝日浴び川辺の花の親しげに我に笑まふやゆるり歩まむ

花橋を渡せる谷か彼方より紫斑蝶の群れ飛び渡る

台湾の主権守れとデモ行進未来憂ふる思ひ全土に

空梅雨の空見つめゐて祈りをり田にもダムにも水降らせよと

盧武鉉の哀れ末路に全韓の弔ひの列冥福祈り

早乙女の歌声合はせ早苗植う豊作願ふ民守る中を

 

 

 

櫛使ふ朝                    徐奇璧

遠き娘の弾くピアノの音聴きたしと叶はぬ希ひ力なく臥し

馳せて行くオートバイの数算へ無事祈る窓辺に今日も独り佇つ

娘がテープに残しくれたる歌声に聴きほれつつを櫛使ふ朝

老人の通常のくせ回顧談痴心を占めて今を忘るる

子孫等の去りし淋しさかみしめて亡き祖母母の切に偲ばる

つくづくと母や祖母への思ひやり足らざりしをば悔ゆるこの頃

終日を身の置き所なき思ひ照りつくる陽の暑さ何時まで

老体の不調しきりに嘆きつつ愚痴言はざりし亡き母の顕つ

歌詠めず顔上げて空見渡せばゆるやかに雲流れゆくなり

盲ひたる青年(ひと)吹く笛騒音の中より聞こゆ秋の日暮れ

旅疲れ長びきて身も心まで立ち上がれずに夕暮わびし

いつしかに杖に頼る身となりたれど心未熟ぞあはれなりけり

 

 

 

黄昏  徐奇芬

亡き友の傍線引きし書をめくり繙きし日の姿顕しむ

先生と呼び止められて戸惑ひぬ白髪の媼は教へ子なりき

雨の後とみに明るき公園に何をしゃべるか群れなす雀

寒き日の暮るるに早く小走りに道行く人の背なみな丸し

深ぶかと湯舟に浸りしみじみとフリーとふ幸かみしめてをり

退勤の我に従き来る小犬ありよちよち歩く孫の如くに

人恋ふは老いたる故か感傷か雲にかくるる月さへかなし

本を閉じ灯りを消して床につく一日の無事を反芻しつつ

かすかなる記憶に残る顔一つその名も知らず消える事もなし

成し遂げむ願ひいくつかこぼれ消え徒らに齢積みてきにけり

「雲雀」とふ綽名の友の今老いて輪椅子(くるま)に坐して唯笑みてをり

一日の仕事成し遂げ外見れば黄昏の山我に微笑む

 

 

 

映画「嵐が丘」                    蘇楠榮

昔読みし「嵐が丘」をディスクに観る増して美し増して哀しも

万世に朽ちざる画なり若き等の嵐が丘の(きよ)らの抱き

「君陛下我は奴隷」と膝を折るキャシーをヒースが「マイ・クイン」と抱く

石楠花の咲き乱れたる丘の上の高き巌は二人の根城

キャシー言ふ金なき君と出で行かば藁草に寝ね飢え死にせむと

氷雨の夜馬飛ばし去るヒース追ひて駈けたるキャシー「城」に気絶す

思ひきや救はれ癒され愛されて富農に嫁ぐキャシーなりけり

幾年を過ぎて真前に現れし富紳ヒースにキャシー病み臥す

かの「城」を見たしと息の絶ゆるキャシーヒースに抱かれ窓の辺に立つ

寄る勿れキャシーは我がもの斯く言ひてヒース静かに遺体寝かしつ

吹雪の夜声に飛び出でヒースクリッフ愛霊と帰る盟りの巌

泣かざるや嵐が丘の岩城に魂と生き身の番ひ相抱く

Comments