作品評‎ > ‎

13集-作品評1

 

黄教子選 その1

どこまでも抜けるがごとき青空にもみぢ色づき山近く見ゆ  石瀬俊明

日本の秋の澄み切って抜けるような秋空、山々の鮮やかな紅葉に、まるで山が近くなったように感じた作者。「山近く見ゆ」に作者の実感が詠みこまれて作者自身の歌になりました。台湾で生活していると、紅葉の頃の美しい自然から遠のいてしまいましたが、この一首で心に鮮やかに蘇ってきました。凋落の寂しさを漂わせて、はらはら散る母校の銀杏並木の下で、時空を超えて我を忘れた秋の帰郷の一刻を思い出しました。

 

悪妻の毒舌に耐えソクラテス頭を研磨し名哲理生む      王進益

古代ギリシャの哲学者で、プラトン、アリストテレスと共に哲学の三哲と称せられ、西洋文化での哲学の基礎を固めたソクラテスは、伝説によりますと悪妻がいたということで、悪妻の毒舌に耐えて頭を磨いたと作者は詠んでいます。実はクサンティウベの悪妻説はどうも後の世の作り話のようです。しかし世の男性たちにこの伝説は共感を呼ぶようで、思わずクスリとしてしまいます。

 

檳榔の団扇をあふぐ夫優しばあちゃん子の日日思ひいづるらし 王正子

檳榔の葉の本の部分を団扇の形に切り取って、おばあさんが仰いでくれたことを話しながら、檳榔で作った団扇を使っているご主人。懐かしいおばあさんのことを思い出しながら、自然に優しくなっているようです。そういえば台南の姑が、庭に生えた椰子の葉で団扇を作って使っていました。夏の夜は庭に籐椅子を出して、空を見上げながら、この団扇を使ってみんなで団欒した光景が懐かしく思い出されます。この団扇はなかなか力強くて、涼しい風が起こります。台北に持って帰って使いました。自然の素材を生かした生活の智慧ですね。

 

一年に一度逢ふ身の七夕の牽牛織女に我等勝れり      歐陽開代

七月七日の星祭はロマンチックな夢に満ちて、子供のころから楽しみな行事の一つでした。竹に願い事を書いた色紙や、切り紙細工を結びつけて、「どうか晴れて彦星と織姫が逢えます様に」と祈りました。作者は七夕の日に牽牛織女のことを思いながら、自分たちのほうがいつも逢えるから幸せだと感じておられます。鴛鴦夫婦の幸せを「牽牛織女に我等勝れり」と力強く手放しで喜んでおられるのに、つい微笑が湧いてきます。

 

雲の果て「母さん」と呼びて散華せし弟の夢醒めて涙ぐむ  温西濱

一連の歌から、弟さんは飛行士として散華なさったことが分かります。軍服姿の弟さんを見て、母親は「一段と逞しくなった」と喜ばれたようですが、非常時で弟さんはフィリッピンへ飛び立ち帰らぬ人になられました。半世紀以上を経たとはいえ、夢は時空を超えてごく身近に感じられ、悲しみは夢から醒めても昨日のことのように生々しく迫ります。生きておられたら豊かな人生が展開したかもしれません。こういった方々を私たちは忘れてはならないと思います。弟さんの御霊は靖国神社に祀られているということを作者からお聞きしたことがあります。この春靖国神社にお参りした時、数え切れない御霊が桜の花となって集っておられるのだと感じました。

 

身につけし大和心の非凡なる人生の道平凡に生く       郭振純

「大和心」を身につけた作者の人生は非凡なる人生です。非凡とは平凡でないこと、衆人よりはるかに優れていることですが、作者は平凡ではない人生だったと言いたいのだと思います。台湾の日本語世代の方々は、途中で国籍が変わり、その後大変な辛酸を経て今日に至っています。ことに作者は二十二年余りを思想犯として獄に繋がれており、「非凡なる人生」の言葉には重いものがあります。そのような人生だけれども平凡に生きていくと詠われる境地は、元来平凡な私には理解したくともごく一部しか分からないというのが本当のところでしょう。


Comments