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15集-作品評5

黄教子選 その1

百年は長くなかったと思ひ居る十分の九を生かされて現在       佐藤厚子

 百年というと、まさしく歴史と感じるほどの長い期間に思えますが、九十歳の人はそれに近い歳月を実際に生きてきたわけで、過ぎ去ってみると長いとは思えないものでしょうね。歳を重ねるにつれて、歳月の短さを実感するようになるもので、「生かされて現在」という下の句に作者の人生を振り返っての諦観のような境地さえ感じます。十分の九には少し余裕がおありの作者、これからの歌の開花が期待されます。

 

さそはれて四人で漕げる自転車を共に漕ぎ見る力の限り         謝白雲

 十二首のお歌は、アメリカへ行かれた時の作品のようです。四人で漕ぐ自転車で、力の限り漕いだ作者は、まだまだお元気一杯。きっと体力に自信もつかれたことでしょう。お子様お孫様に囲まれて幸せな時を過されて、身心共に若返ったに違いありません。人間楽しいことをしていれば若返り、健康もそれに伴ってきます。十二首全体に生きている喜びが感じられました。

 

亡くなりし犬は家族の一人なり今霊園に冥福祈る            周福南

 家族同様に飼っていた愛犬が亡くなり、祖先を祀る霊園の一隅に手厚く埋葬したのでしょう。愛情を注いで飼ってもらい、いままた霊園に冥福を祈ってもらい、犬と生まれて幸せな一生だったことでしょう。野良犬や野良猫の一生は短くて最後は病気にかかり悲惨ですが、同じ一生なら優しい主人に飼ってもらいたいものです。「家族の一人なり」と云う言葉に犬が人間と同様な扱いを受けていた事が分かります。

 

木の陰をわが物顔に屯する鳩にゆづりて道を廻りぬ           徐奇芬

 太陽が眩しすぎて、誰しも木蔭を歩きたいものですが、前方の木蔭に鳩が屯しているのを見た作者は、心地よさそうに休む鳩たちを乱さぬようにと、まっすぐ突き進むのを止めて迂回したようです。何気ない仕草の中に作者の優しい慎ましいご性格が伝わってきます。

 

子等の住む海の向かうは昼と夜異なると思ひていよよさびしき      徐奇璧

 子らの住む国は母の国とは異なり遠く海を隔てた異国、飛行機でも十数時間はかかり、年取ってくると長時間を座席に過すことは苦痛になってきて、ますます子等との距離を感じるようになります。昼間思い出して電話で声を聞きたいと思っても、その時間を子等は白川夜船、国を異にするだけでなく、昼夜も異にするのだと気付き、いつも食い違う思いに余計淋しさが募ったのだと思います。

 

農いとなみ子孫を学びに外へ出す文化の高き豊かな郷なり        辛秀蓮

嘉南平野にあるご主人の故里を歌われた中の一首。烏山頭ダムと嘉南大圳の建設により台湾の穀倉地帯となった嘉南平野は、稔り豊かな田畑の続く美しい平野で、親は一生懸命働き、子供の教育に熱心だった様です。自然に文化的な薫陶を受けて、物資共に豊かな里となっていったことでしょう。戦後、農地改革で土地を奪われた地主も多く、作者のご主人の家もそうだったようです。また教育を受けたが故に睨まれるという悲しい時代もありました。南部への往復の途上、嘉南平野に白鷺の姿を目には追いつつ、この自然が工業地帯に変ったりしないでほしいといつも思います。

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