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15集-作品評11

鄭埌耀選 その3

年重ね介護されゐる老友の車椅子看て俺も何時かは           劉傳惠

 歳は取っても足腰は未だ未だである。が、老友が車椅子でいるのを見ると、自分丈はと思っていても老いは向うから来るので、この俺も何時かはの後の省略は寂しい。それで自分の時はどんな型のどんな性能の車椅子が良いだろうかと考えたりもしよう。お年寄りの誰にもこの俺も「何時かは」は、身につまされる。

 

八十の身にもはや無縁を思ひつつ立ち去り難きニュールックの店     林聿修

 八十の身にニュールックは無縁と言うが美しい物への憧れは幾つになっても尾を引いている。スーツ店のウィンドウもデパートの衣裳コーナーもニュールックの攻勢、似合うまいと思っても若しや若しやと手に取って見たいのでそれが立ち去り難しなのである。老いのおしゃれ、老いのダンディ、此の老いの美学を作者と共に大事にしよう。

 

思春期の彼の大戦を浮べつつ死の関門を指折りしてゆく         林月雲

 大戦のさ中作者は女学生であった。連日の無差別空爆と機銃の掃射は疎開地をも脅かし、毎日正午に鳴るサイレンは死の恐怖を告げる警報であった。思春期のロマンを奪われた許りか作者は退避騒ぎの中で幾つか死線を越えた。作者には恐怖と怨みの思い出の歌なのである。

 

大空に漂ふ雲に託したるあまた成らざりし我の心願           林燧生

 時の台湾省政府で官途につき、外省人の派閥のせめぎあい、台湾人の差別される中を作者は税務所長にまで昇った。務めは順調であったが、二十四年の単身赴任の生活は長すぎた。妻子と住みたい。親に尽くしたい、此の願いは空に漂う頼りない浮雲にさえ託そうとした。八十二になり病妻を抱えた作者の悔い一杯の人生を省みてのやるせなさを叩きつける様に歌い上げている

 

寒き夜の一人寝はさびし子の買ひたる羽根ぶとんかけ思ひにふける   林素梅

 子供が羽根ぶとんを買ってくれた。棉よりも羊毛よりも軽くふわふわする新しいこのふとんに温もり乍ら作者は思った。堅い煎餅ぶとんの昔、始めて一枚を独り占めした女学生の頃、新婚の日の真新しいふとん、そして今日の子供の心尽くしの此の最高のふとん。今度は一緒に温みを楽しめたらと、ご主人の事が思い出されしんみりされたであろう事はよく分かる。

 

姑の嫁に食はすな秋茄子は孫の欲しきに背く真心            林蘇綿

 秋茄子はうまい、もったいないので嫁には食わせまいという俚言。嫁を貰ったら早く孫を頼む、と嫁の体を気遣い、子授けの秘法を尋ね歩き乍ら、陰ではよそ者扱いをするとは、思えば筋違いで今では笑い草になっている。が、今は核家庭の時代、旨い物は姑に内緒で温かいうちに、というのがこれも笑えない笑い草。面白い所を衝いた作である。

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