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15集-作品評1

徐奇芬選  その1

酋長に仕へる如き婦人等のふと口にせし著き日本語         石瀬俊明

「著き日本語」をタイトルの最後の一首に終戦後六十余年になって尚高齢の高砂族の人々は日常語として日本語で話して居る所があります。日本統治下にあった台湾に対する日本語の普及にどれだけ日本政府は力を尽くしたかが伺われます。平地の人民は終戦後新政府に強いられて北平語を学び日本語は徐々に忘れられ終戦当時の青少年だった人でなければあまり通じません。作者がこのシーンに出会った時の気持ちが察せられます。

 

東ゆ陽の輝へば尊としき睡蓮観音権現するなり            王進益

台湾歌壇一代目の代表王進益氏も高齢となり体調もどことなく衰弱して病院通ひをされて居ます。一連の作品にはいろいろな薬を土砂と呑み込むとか移動検査が続くとかが詠まれて居ますがどの一首にも湿っ気がなくユーモアを混へて病状を描写して居る所に感動しました。最後の一首は病身であり乍ら明日に向かって睡蓮観音の権現を期待して居る心情は詩人でなければ表現出来ないものと思ひます。

 

 

雨音のぽたりぽたりと惜しむごと命の貯金残り少し          欧陽開代

雨の音を聞いて余命の少ない事と結び付けたユーモアなこの一首に心からほほえみました。雨音がぽたりぽたりと音を立てて居るのは雨がもう止んだからで何時かはその音も聞こえなくなります。この様子を命の貯金になぞらえて作者の快活な性格が伺われます。雨は又降りますから命の貯金も御心配なく歌会で頑張って下さい。

 

八十路越す同期会に「サヨナラ」は言はず「又会おう」が相言葉なり   温西濱

人生は八十を越せば長寿の列に入ります。お互いに言はずとも「この年になった」とひそかの思い乍ら健康であればもっともっと生きて居たい気持ちは皆同じです。だから集いの終わりに「サヨナラ」と言はず「又会おう」と再会を期待するこのグループの方々のひそかな期待が永続しますようにと祝福致します。

 

八十路坂半ばを過ぎて振り向けば映る足跡涙で消したし         郭振純

作者は政治犯として長年受難された涙ぐましいストーリーを著作されました。過ぎた事は時代がどんなに進んでも取り戻す事は出来ません。作者は八十過ぎて過去をふり返り涙でその悲痛の足跡を消したいと詠んで居ます、「忘却」がすべてを消して呉れますが忘却したいが鮮明に過去が浮んで来る矛盾ほど悲しく惨めな事はありません。

 

逝きて早二十六年の母のスリッパけふ取り出してごみをはたたく     顔雲鴻

二十六年の年月は短くありません。作者の御母堂が亡くなって二十六年たった今も嘗て履かれたスリッパを大事に保存して時たまとり出してはごみをはたく作者の親思いの情が溢れて居ます。このスリッパは作者にとって特別な思い出でもあったのでしょうか。

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