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14集-作品評4

潘達仁選 その1

靖国のさくらは御霊の集ひとも思へて青き空を見上げぬ     黄教子

故洪坤山氏も靖国の桜は私を迎えて呉れる御霊であるとの意の短歌を詠んだ事があります。お二人共日本の伝統、そして武士道の昇華たる靖国神社を愛し崇めて居てこの様な短歌が詠めたのでしょう。靖国神社の神々しい雰囲気で見事に咲き見事に散る桜を見れば誰しもこの様な気持ちになると思います。殊に今日の日本では日教組、共産党、社民党等があり、日本人らしからぬ言論や行為をする人達が居て伝統、風習が乱れて居ます。この短歌を福島党首に読ませたいと思いました。

 

横綱なき大和力士よ又も負け伝統の国技斜陽の証し       黄培根

相撲が日本の国技でないと世界広しと雖も誰も言えないでしょう。所が日本人は国技と言う言葉が好きでないと見えて国際的な競技にしようと必死になって世界各国から力士になれる少年を探し回って居ます。その結果が長年日本人不在の横綱時代になりました。これは各部屋から幕内及び三役に到る関取が出ると補助金(?)が良いからと思われます。こう言う拝金主義が相撲界の野球賭博騒動を起こし、面目丸潰れになりました。作者の日本の痛い所を掴みお灸を据えた歌ですね。

 

我が母に尽くし足りぬと悔い消えずこの期となりて何をなすべき 蔡永興

中国では「子欲養親不在」と言う諺があります。これは一般的な事実で、お金欲しさに父母を殺めたと言う事は日本でも台湾にもありますが斯く言う特別な事件を除いて普通の人達はこう思うでしょう。理由はさまざまありますが、思慮分別が足りなかったり、或いは「貧乏百事哀」で手がとどかなかったり、余裕があった時はもう手遅れだったりと言う事もあります。斯く言う小生もその一人ですが、残念な事です。せめてお互いに父母のあの世の安らぎを祈ろうではありませんか。

 

馴れにたる町のすみずみ古里の温さ母の愛にも似たる     蔡紅玉

「故郷」この言葉の響きは誰にでもノスタルジヤを呼ぶひびきがあります。この短歌の様に町のすみずみに幼い日々の足跡があり思い出があります。作者はこの事を母愛に似て居ると言って居ます。非常に穿った形容で、私も故郷を思い出して暫し筆を止めて思い出に耽りました。ふるさとを故郷と書かずに古里にしたのも暖かい感じがしました。

 

蓬莱は麗しの島と言はるれど石投げ込まれ馬狂ひ騒ぐ      蔡焜燦

「イラ・フォルモサ」とか蓬莱と呼ばれた台湾ですが政治家の勝手によりあちこちへと抛り出され呉濁流氏をして「アジアの孤児」と嘆かわしました。でも台湾は幸運にも日本に引き渡されたので近代国家に相応しいインフラが整備されて現代化に追いつく事が出来ました。然し二次大戦で負けた日本が勝手に台湾の所有権を放棄した為蒋介石がどさくさ紛れに台湾を乗っ取り白色テロで我々を吊るし上げて苦しめたのです。そして死んだ後でも既得利権を守る為台湾から巻き上げた金をばら撒いて馬面総統が出来ました。然し彼等は人神として崇めた蒋介石の反共に背き中共に台湾を売ろうとして居ます。作者が斯う言う短歌を詠むのは痛快な限りです。

 

日の本の故事ゆかしき宮崎に神話の礎の神秘を探る       蔡西川

以前九州観光に行った折に宮崎市に立ち寄った事がありますが古代の埴輪とか色々な物が発掘され展示されて居ました。然し宮崎が日本の神話に満ちた所とは知りませんでした。蔡焜燦先生にお伺いして始めて納得した次第です。埴輪を見ますと古代の宮崎は文化水準の高い所と思われます。作者でなくても私も探って見たくなりました。短歌ですが第二句「故事ゆかしき」では字足らずですので「故事のゆかしき」或いは「ゆかしき故事」とのを入れたい。

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