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14集-作品評2

鄭埌耀選 その2

老いて学ぶハーモニカの音と童の唄幼な友らと子供に戻る    顔雲鴻

ハーモニカは手軽に手にはいっても誰にも直ぐに吹けるものではないがひと穴宛吹く事を覚えたらあとはベースを入れる丈で一応合格である。作者は老いのすさびに始めたものなので先づは童謡から始めるが聞きつけて子供らが寄って来て合唱となった。吹き違えても子供には分からないのでいよいよ熱がはいる。子供心に戻った爺さんの楽しいひと時、読んでほほ笑まれる作品である。

 

朽ちゆける日本家屋にひそと咲く紅き桜のいともいとほし   北島和子

平屋の日本家屋、昔はこれを宿舎と呼び、主に内地人の役人や職員が住んでいたが其の庭に一本の桜の樹、良い取り合わせである。紅いこの山桜は風土のせいで見事な咲き振りはなく申し訳程度にしか咲かない。それでも朽ちて人気のない家の庭に今でもつつましくひそと咲いている様は、見た眼にも健気で作者はいともいとほしと詠んだ。盛者必衰の理の中を此の桜の木は年々花を咲かせ続けるのである。

 

現世報見て来し吾は唯祈る仏の慈悲の遍くあれと        胡月嬌

ある仏教徒から善悪応報は前世後世に渡る事はなく現世の善悪はすべて現世で応報が来ると言う様に聴かされたが、そう言えばその様な事もあり作者は八十になるまでに沢山見て来たと思われる。浮世は憂き世であり人間関係で傷つき又は傷つけたりする事はある。それを仏の慈悲は皆に遍くあれと祈る作者の此の様な心根は誰にも有りたいものと思う。

 

若者のあはれみの目をみかへしたり我には汝になき良き青春ありしと                                                                 呉炎根

若者には若者同士の世界があり老人にはこちらより話しかけない限り相手にはして呉れない。それで其の眼付きがあの婆ちゃんは……と言っている様に感じられる。此の僻みに似た心情は自分達が若い頃年寄りを蔑んで来た覚えがあるからで自分にはより良い青春があったと見返しても気張りばかりで此の寂しさはどうにもならない。お年寄りの誰にも身に覚えのある事である。

 

ひらひらと落つる枯葉にひしひしと身に伝ひ来る老いの寂寞   呉順江

一枚宛枯葉が落ちて来る。凋落の秋、あの様に友人知人の幾たりかが先にゆき、周りは体に不調をかかえている者ばかりになって、酒で気炎をあげたのは遠い昔の事となった。命のある限りその日その日を充実させたいとは言うもののあのひらひら落ちる枯葉の暗示には老いの切なさがひしと身に迫って来るのは避けられない。寂しく哀しい老いの挽歌である。

 

市場にて食べほうだいでよみがへる物資欠乏の戦時のときを   呉恋雲

戦中女学校で父兄会の昼食の接待にふかし芋と塩を出されたが作者は此の時女学生であった。食料の不足は人手不足生産力の不足から来る。今は市場には豊富な食材が並び、食堂は林立、バイキングと称する食べ放題があって動けない程食べさせて呉れるが、此の飽食の時代にこそ戦中戦後の欠乏の日が偲ばれる。汗と涙に死の恐怖さへ付き纏っていたこの日々の追憶は、勿論楽しいものではないが、隔世の無量の感慨を作者は歌にしたのである。

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