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13集-作品評4

鄭埌耀選 その1

校門の垣根の百合は夏休み知らすために咲きそろひ居り     女辛

女学校に白百合の花、良い取り合わせで、その一斉に咲き揃う姿は女学生の清純な群を思わせる。年々夏が近づくと咲くのであるが余りに待ち遠しく余りに嬉しい休暇なので百合の満開はそれを知らせる為に咲くものと思うまでになった。四年の女学校生活にこの百合には殊更愛着があったに違いない。爽やかさを呼ぶ作である。

 

この島に本土意識なきイモ族よ明日の運命はわれらの手にあり  黄培根

台湾に外省人は老幼あわせて三百万と言うのに外省人が七百数十万票で台湾に君臨して、今や自分の祖国に台湾を併合させようとしている。こうすればこうなるものとイモ族達は知らなかったのだろうか。本土意識のないイモ族達、作者の嘆きはここから始まる。買収に屈するまい、巧言に瞞されるまい。台湾の運命と子孫の幸福は今の我等の手にあると言う作者の切なる叫びの歌である。

 

人に会ふ事に疲れて川の辺を独り歩めば秋の蝶舞ふ       黄教子

作者は放送局での国際向けの放送が本職であるが、本歌壇の世話と歌誌の編輯と言う重責を背負わされている。だがボランティアとしての仕事はこれ丈ではすまされない。自分から資料を求めて人に会う事はあるが、他人が、つてをたどって日本などから訪ねて来る事が多い。どれもこれも良い加減な応待は許されない、余人を以って代えられないので疲れが溜まる。川の辺を歩くなどは極貴重な骨休めと気休めの時である。結句に「秋の蝶舞ふ」を持って着たのはその時の解放感を表すに充分である。

 

長き日を病める吾が夫遂にして神の御許に安息したり      蔡佩香

人は死んだらどこへ行くのだろう。世俗の言うあの世へはクリスチャンは行かない。神の御許に安息し眠りにはいると言う。苦しい長患ひからご主人は神に召され遂に安らぎを得た。信ずる者には救いがある。作者は信仰故に悲しみを乗り越えて坦々とこんな歌を詠む事が出来たのであるが御主人への想ひが切々に籠もっている事の読み取れる含みのある作である。

 

喜びは日文雑誌の解放に再びのめりこむ読書の世界       蔡紅玉

戦後蒋政権は台湾人の親日感情を払拭する目的で日文の書刊を禁じた。四角い文字の中文を宛てがわれてたじろいだのはこれまで読書量の多かった人達で、この作者はその一人であった。日文の新体詩を能くした作者が日文書刊の解放に再び読書三昧の生活に戻れた事を喜ぶ心情は同じ戦前派の我等にはよくよく諒解出来るが、この歌には永らく日文を禁止した政府の横暴に対する憤懣も含まれている事は言外に窺えよう。

 

わが著書に署名請ひ来る日の本の撫子に説く明治節かな     蔡焜燦

作者が日本精神に就いて説き日本で出版した本は大反響を呼んだ。著書に署名を求めて来るからには余程感銘したからであろうが、折から文化の日、この日を明治節と呼ばれていた謂れから明治天皇の偉業や台湾との関係などを説明したら眼を輝やかせて聞いていた。作者の話にも熱があっただろう。日本精神には疎い日本の撫子はこの説得を聞いたあとからは自らを大和撫子と呼ぶ様になるかもしれない。

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